全国の太陽と情熱の仲間の皆さん、こんにちは!
今回は、少しだけSPCの歩みを語ります。
今から76年前、我が国日本は戦争に負けました。故横山創設理事長が小学生の頃です。
多くの日本人は、悲しみの中、玉音放送を拝聴致しました。
しかし当時の我々の先輩は、持ち前の勤勉さ粘り強さでモーレツに働きました。
1964年東京オリンピック開催。
そして、高度経済成長期真っただ中の1966年に、SPCはジャイアンツクラブの名称で、東京都千代田区神田神保町にて産声をあげます。
1970年大阪万国博覧会開催。
当時の日本が技術の全てを注いだ世界に誇る夢の超特急新幹線ひかり号、横山青年はそのひかり号に乗って大阪万国博覧会へと向かいました。
その列車の中で、「そうかこれが新幹線か!モーターが全ての車両についている!」と覚醒し「新幹線経営※」を発案。
そして、万国博覧会会場に着き、岡本太郎氏デザインの太陽の塔を眺め、アメリカのアポロ11号が持ち帰った「月の石」を観ながら、「よし、この月の石を照らす太陽の様な組織を創る!」と、沸点越えの決意をされたのではないでしょうか。
この頃の子供たちの憧れは「巨人、大鵬、卵焼き」の3ツ。
何でも3ツにまとめるのが大好きだった横山青年、日本の子供はSPCが育てる!とまたまた沸点越え!当時の豊かさの象徴、三種の神器は「電気冷蔵庫・電気洗濯機・白黒テレビ」またまた3ツだ!
と、またまたまた横山創設沸点越え!当時の人々が恐れたものは、「地震・カミナリ・火事・オヤジ」これは4ツですので横山創設は無視されたと思います。
さてその頃、東京都足立区竹ノ塚で教員をされていた田口ヤスコ資質表現教育協会副会長は、授業の中で子供たちにアリとキリギリスの寓話を例に
「戦争に負けた資源の少ない日本が今後欧米諸国と対等に付き合う為には、キリギリスの様に遊んでいては難しい、アリの様にコツコツと働きましょう」とご指導された事でしょう。
その教え子の一人に、SPCGLOBAL事務長の小黒さんがいたのは偶然でしょうか?私は必然だと考えます。
時は流れ、時代は昭和から平成を経て令和となり、政府はゆとり教育の名のもとに、アリの様な生き方も良いがキリギリスの様な生き方も、、、と推奨し、労働集約型の若者を強く必要とする我々の産業に激震が走りました。
しかし見方を変えると、キリギリス様式の人々が増える事は、我々の産業にお金を使う人が増える事でもあるのです。
戦後の頃の子供たちは、皆、坊主かオカッパ頭でした。
東南アジア諸国とのアツレキも若者達の文化芸能分野での友好が深まったおかげで今では友好国となりつつあり、SPCもJAPANからGLOBALへと進化し、東南アジア諸国にも仲間が広がっております。
楽しみです。
どんどん良くなります。
ワクワクします。
どんなに辛い事があってもSPCの仲間がいれば大丈夫。
決して下を向かず空を眺め、横山創設理事長のあの笑顔を思い浮かべましょう!
横山創設が励ましてくださるはずです。
「覚醒だ!沸点越えだ!」と。