▶︎弓弦 亙さん談話 vol.01/03
茨城県古河市で「ヘアメイクAO」4店舗を展開するSPC GLOBALのリーダーの一人が弓弦亙さん(56歳)。激しい浮き沈みを経験し、一時は倒産・自己破産の危機にも瀕したところから回復してきた経営者です。
弓弦さんは、昭和41(1966)年、茨城県古河市生まれ。
長崎から上京した父親が理容師となり、昭和35(1960)年に茨城県三和町(現・古河市)で理容室を創業。経営者の息子として誕生しました。
小学生で早くも親に反発し、中学(茨城県内)、高校(広島)は親元を離れて全寮制に進学。理容師資格は、父親のすすめに従って高校1・2年次に、通信の理容学校をダブルスクールで取得しました。
高校の同級生には海外の大学や6大学へ進学する子もいる環境でしたが、弓弦さんは、一国一城の主になれると、親の跡を継ぐ道を選択。親の選んだ修業先を蹴って、条件に納得のいく理容室を探して、東京で5年間の修業生活を送りました。
毎日深夜まで技術トレーニングに励み、2年目から競技会にも参加、3年目に入ると入賞できるようになり、4年目あたりから上位入賞、優勝と技術力を上げていきました。
その頃に付き合っていた女性が今の妻。23歳で意気揚々と帰宅、結婚して、子どもにも恵まれ、親と一緒に働き始めたのですが、父親からは認められません。実際、当時の古河市で流行っていたチリチリのパーマを巻くのに、父親なら1時間、弓弦さんは1日がかりになってしまうという現実があり、自身のふがいなさに葛藤したそうです。
社会勉強にと参加した青年会議所で、飲みにいくことを覚えると、それまでの反動もあって遊びに溺れ、5年目には実家の店を出ることになりました。美容師の資格を持っていた妻は家業を手伝っていて、そのまま実家に残り、弓弦さん一人が家を出たのです。
この時に日雇い労働を1週間してみて、技術を持っている強みに気づき、埼玉で3店舗を展開する理容室に就職。技術もあり、接客もできるため、オーナーのお客様からも支持されてNo.1になると3か月で教育係を拝命。後輩が付いたことで慢心し、自分を見失いました。
父親の介入で勘違いに気付かされて退職すると、「世の中(企業)を見てこい」と言われて、次はアデランスに就職。ここでも技術力と接客力で3か月でノルマをクリア、1年後には売上ランキング上位に入っていました。父親との約束を果たして辞職を願いでると店長からは引き止められるほどでしたが、支店長からは「優秀な営業だが、親からもらった生命をしっかり使うように」と諭されて親元に帰ることになりました。
<取材協力>
ヘアメイクAO(株式会社AO・有限会社ティンク/茨城県古河市)
https://www.ao-smile.com/
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