▶︎松井理砂さん談話 vol.02/03

松井さんは、1999年に、横浜で初のまつげカール専門サロンをオープンしたものの、半年間、お客様を思うように得られず、撤退するか否かまで追い込まれました。

サロンは、オートロック付きマンションの10階。路面店でもなく、オートロックがあるため、サロンの存在を知っている人でないと入りにくいという状況でした。

そこで、松井さんはHPを立ち上げました。当時のエステ業界にはHPで集客しているサロンがほとんどなかったため、これによって集客に成功。ベッド4台にアルバイト1名で始めたサロンは、マンションのエレベーターのボタンが壊れるほどにお客様が集まる状況となりました。
スタッフも足りず、お客様が電話をとってくれたり、オートロックを開けてくれたり、お茶をいれてくれたりという時代だったそうです。

最初の3年はサロンを回す仕組みづくりのために、ひたすら働いていたと松井さんは言います。

2002年、中国への進出を企図しますが、滞在中にサーズが流行しはじめ、オープン直前に取りやめて帰国。この年、大手企業で働いていた妹がスタッフとして入社しました。

妹には3ヶ月ほどで技術や接客を身につけてもらったのち、スタッフ5名となっていたサロン運営を任せることができました。松井さんの「手伝って」という声かけに、快く応じてくれた妹は、マネジメント力に優れていました。

2006年、松井さんは、オリジナル化粧品のシリーズ開発に着手。
大手化粧品会社3社で営業をしてきた経験から、大手のように広告宣伝費用をかけない代わりに原材料費をかけて日本一の品質を目指すとして、スキンケア商品をつくりあげました。
その中には、塗るだけでまつげが成長するまつげ美容液「蓮REN」、つけたその場でリフトアップが実感できると好評な美容液などがあります。

また、この頃から店舗展開にも着手して、大阪、福岡、沖縄、中国の大連など最大10店舗にまで拡大しました。

松井さんは、経営力を特に意識することなく、営業職を選んだときから、経験を糧に培ってきたものと振り返ります。

<取材協力>
株式会社アールエムコーポレーション(神奈川県横浜市)
http://www.rmcorporation.jp/

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